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アルブレヒト1世 (マイセン辺境伯) : ミニ英和和英辞書
アルブレヒト1世 (マイセン辺境伯)[あるぶれひと1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [へん]
 【名詞】 1. (1) area 2. vicinity 3. (2) side (of triangle, rectangle, etc.) 4. (3) circumstances 
辺境 : [へんきょう]
 【名詞】 1. remote region 2. frontier (district) 3. border(land) 
: [さかい]
 【名詞】 1. border 2. boundary 3. mental state 
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

アルブレヒト1世 (マイセン辺境伯) : ウィキペディア日本語版
アルブレヒト1世 (マイセン辺境伯)[あるぶれひと1せい]

アルブレヒト1世Albrecht I., 1158年 - 1195年6月24日)は、マイセン辺境伯(在位:1190年 - 1195年)。傲岸伯(または尊大伯、der Stolze)とあだ名される。マイセン辺境伯オットー(裕福伯)とブランデンブルク辺境伯アルブレヒト1世の娘ヘドヴィヒの長男。ディートリヒの兄。
父はアルブレヒトを差し置いて弟のディートリヒを後継者に据えようと考えていた為、アルブレヒトは1188年、武力によって父親を捕縛した。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の命令により父を解放するが、これにより相続権の承認を得て、1190年の父の死後マイセン辺境伯に就いた。
フリードリヒ1世の息子ハインリヒ6世に従ってイタリアへ向かったが、すぐに急ぎ戻っている。これは、パレスチナから帰還するディートリヒから自分の領土を守るためであった。ディートリヒは、舅に当たるテューリンゲン方伯ヘルマン1世の支援を受けて辺境領を要求してきたのである。レフェニンゲンの近くで戦闘となり、敗れたアルブレヒト1世は修道士に変装して、苦労の末にライプツィヒへ逃れ、帰還した。
1195年6月24日、フライベルクからマイセンへ向かう途中のクルンメンヘンナースドルフで亡くなった。毒殺されたと推測されている。遺体はアルトツェラ修道院教会に安置された。
1186年にアウシヒ(現チェコウースチー・ナド・ラベム)でゾフィー・フォン・ベーメン(1195年没、ボヘミア公ベドジフの娘)と結婚したが、子が無く、マイセン辺境伯領はディートリヒが継いだ。
== 外部リンク ==

*Albrecht , in: Meyers Konversationslexikon, 4.Aufl. 1888-90, Bd.1, S.298



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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